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November 08, 2023

シリーズ いまここ
vol.3 『書肆 吾輩堂』大久保 京さん

この人は、この場所は、
どんな道を歩んでここに辿り着いたのだろう。

今ここが面白いんだから、
これまでの道程もきっと面白いはず。

興味深いモノ・コト・ヒトに出会ったとき、
ふと頭をもたげる小さな好奇心。

日々に埋もれて消えていく
そんな好奇心に、たまには従ってみたい。






猫本屋への長い道程
第一歩は幼少期の読書体験


福岡は六本松の路地裏に佇む、おそらく日本初の猫本専門書店『書肆 吾輩堂』。店主の大久保京さんは、マンガ・テレビ禁止という厳格な家庭に育ち、ツアーコンダクターや学芸員を経て、オンライン書店から吾輩堂をスタートさせた。

(大久保)「初めて読んだ本はあの恐ろしい『青髭』で、幼稚園の時だったと思います。マンガじゃない普通の本だけは自由に読むことを許されていたので、文学全集や西洋の歴史にギリシャ神話など、色々な本を読みました。もちろんマンガも隠れて読んでましたけど(笑)。少年漫画も少女漫画も好きでしたが、あのころ全盛期だった『少年チャンピオン』の大ファンでした。『ブラックジャック』や『ドカベン』、『マカロニほうれん荘』に『がきデカ』が同時に読めたんですから、すごいですよね」。

文学や歴史からギャグマンガまで、多様な読書体験を経て大の本好きになった大久保さんだが、書店主の道に入るのはまだまだ先。中学、高校はミッション系の学校へ。聖書から西洋史への興味を深め、大学では西洋美術史を学ぶ。そして卒業後に選んだ道は、旅行会社のツアーコンダクターだった。

(大久保)「ルーマニアやブルガリアなど東欧の旧共産圏や、シリア、イランといった中東の国々など、色々な国を周りました。当時は国同士の仲が悪いところがあったり、疫病が発生したりと、本当にトラブルが多くて。飛行機が取れてないなんてこともしょっちゅうでした」。

そんなトラブルの多さが大久保さんを鍛え、性格までも変えていくことに。




玄関の欄間は特注の開閉式

中にはやっぱり猫たちが




困難なほど燃える!
命を守る現場で培った“どうにかする力”

 
(大久保)「トラブルの多い旅行先で一番大事なのは、お客様が無事に旅を続けて帰国すること。そして現地でお客様の命を守れるのは私だけなので、何が起きても絶対自分でどうにかするしかありません。そんな現場経験を重ねるうちに、“どうにかする力”というか、そういう根性と度胸が身につきました。そしてそれ以来、困難な状況ほど燃えるタイプになりました(笑)」。

仕事の内容は変わったが、「自分にできること、やれる余地があれば、絶対に諦めない」という姿勢は今も同じ。どうしても仕入れたい本や、呼びたい作家、そしてPCトラブルまで、自分の力が及ぶ範囲であれば、とことんやってみる。そしてダメならダメで、その理由を知って納得したい。落ち着いた雰囲気ながら、一本芯の通った印象を受ける大久保さん。その理由が分かった気がした。

その後、大久保さんは美術館の学芸員として北九州へ。作家の発掘から展示レイアウト、図録や目録の作成など、学生時代から現在にも通じる“本領”を仕事にする。

(大久保)「多くの作家さん、本当に様々な個性の方と接して、“こんなに自由に生きていいんだ!”と目を開かれた思いでした。でも同時に、私はとてもこの人たちみたいなクリエイターにはなれないな、とも感じました。それなら、私は彼らを世に広める側になろう、そっち側にはなれるんじゃないか、と思ったんです。その時から、あまり有名じゃない、まだ知られていない作家さんをたくさんの人に見てほしい、紹介したい! という気持ちが強くなっていきました」。

目に触れればきっと人々を魅了する作品や、世界のどこかにひっそり埋もれている猫本たち。自分が見出して多くの人に届けたいというその想いは、現在もまったく変わっていない。発掘し、広めることへの情熱は、吾輩堂・大久保さんのキーワードだ。


 

 

個展を開いた作家たちが描き残して増えていく、ガラス戸の猫たち

大久保さんの情熱に対する、いわば“アンサーアート”





夢を叶えた“妄想力”
猫専門書店誕生!

 
本や美術、芸術への関心が深まり、そして作家や作品を発掘したいという情熱も強くなった大久保さん。猫本屋に至る最後のピースは、もちろん猫だ。

(大久保)「北九州の学芸員時代に、庭に一匹の猫が迷い込んできたんです。その時に猫嫌いの家族をようやく説得できて、念願だった猫との暮らしが実現しました。それはもう可愛くて可愛くて、猫に関する本まで読み漁りたくなるくらい夢中でした。それで書店や図書館を探すのですが、なかなか猫の本ってないんですよね。当時はまだネットで探す時代でもありませんでしたし。その時に、ぼんやりと“猫専門の本屋があったらいいのにな”と思い始めたんです」。

大好きな本と大好きな猫が合わさった、猫専門の書店。そこでは作家や作品を発掘し、世に広めることもできて⋯。その頃からよく“妄想”するようになったものの、学芸員としての仕事に打ち込んでいたこともあり、まったくリアルな考えではなかったそう。それが実現に向かったのは、実は環境的な要因からだった。結婚、出産を経て、福岡で子育てしながら北九州に通う日々。体力的にも厳しくなり、何か福岡でできることはないかと考え、動き始めた。

(大久保)「リアルに猫本屋をやろうと思ったのはその時ですが、何せそれまでずっと妄想していたので(笑)、『吾輩は猫である』から採った『吾輩堂』という名前も、国芳のロゴも、パッと決まりました。妄想というと言葉はアレですけど、本当に大事なことだと思います。頭の中でイメトレして、そしてそれを口に出す。やりたいことがある人は、それが具体的でなくても、やり方がわからなくても、口に出して周りの人に言っておくことをおすすめします。自分に言い聞かせる効果もありますしね」。

もちろん妄想だけでなく、起業塾に通ったり古書組合に加入したりと、現実的な準備にも2年余りを費やし、起業に賛成してくれた家族の支えもあって、ついにオンライン書店『吾輩堂』がスタートした。
 
 
※愛猫家としても有名な江戸後期の浮世絵師・歌川国芳。擬人化した猫や猫文字など、可愛くユーモラスな猫の絵を多数残している。




絶対につくりたかったというギャラリースペース。畳敷きで一味違う仕上がりに



 

取材時に開催されていたのは、さとうゆうすけ個展『猫たちの輪舞曲』。さとうさんは2024吾輩堂オリジナルカレンダーも手がけている

 

実店舗もオープン
“しゃかりき時代”へ

 
オンライン書店時代の5年間は、自宅で在庫を保管していたため、大久保家は実に3部屋が本で埋まっていた。どの部屋も書棚から溢れて平積みができ、注文された本を探すのも一苦労だったそう。それでもオンライン書店を続けたのは、やはり実店舗よりリスクが低いからか⋯などと想像していたら、実は出店場所を探すのに5年かかったのだとか。

(大久保)「猫本だけで実店舗が本当にやっていけるのかという不安ももちろんありましたが、最初から出店場所は探していたんです。エリアは六本松に決めていました。アクセスが良く、緑もあって静か。猫はうるさいところが嫌いですから(笑)。でもなかなか良いところがなくて、5年の間に何件見ても決まらなかったんですけど、今のこの場所は、見た瞬間に“ここだ!”と感じました。古い下宿屋さんだったようで、内装は手を入れる必要がありましたが、どう改築してもいいと言ってくださり、そしてどうしても欲しかったギャラリースペースも2階につくれる。それに静かで猫が好きそうな路地裏。実際に猫もいたんですよ」。

オンラインでの開店直後から猫専門書店として話題になり、出版社からの誘いで著書『猫本屋はじめました』も刊行。実店舗オープン後も外から見れば順風満帆の経営に映るが、こんな苦労も。

(大久保)「実店舗をやってみて一番大変だったのは、体力です(笑)。一人なのでずっと立ちっ放しで、トイレやごはんも満足に行けませんし、2階との行ったり来たりも地味にキツいんですよ。それにやっぱりやることが多くて。本の仕入れや展示の準備、通販サイトの更新や発送に、大嫌いな経理まで⋯。オープン時や本当に忙しいときは大学時代の友人に手伝ってもらったりして、何とかやってこられたという感じですね」。

北九州勤務と福岡での育児から、通販と実店舗の“ワンオペ”へ、体力の限界から体力の限界へと渡り歩くかのような、大久保さんの“しゃかりき”時代。それを変えたのは、コロナ禍だった。

 

参考文献に至るまで情報がぎっしり詰まった『猫本屋はじめました』。表紙のイラストが歌川国芳から採った吾輩堂のロゴ

創作や作家と猫は相性がいい。大久保さんはその関係性も好きなのだとか。右は吾輩堂で出版した『暦売浮世情(こよみうり うきよのなさけ)』。絵もテーマも面白い

書棚には作家や書店が自費出版した本も並ぶ。個展だけでなく、あの手この手で作家を後押し

 

やりたいことを集めたら
やりたいことが増えていく

 
書店に限らず、店という店が客を失ったコロナ禍。吾輩堂も同じだったが、大変ながらも二足の草鞋で続けていたオンライン書店の売上が店を支えた。その時に得た気づきのおかげで、肩の力が抜けたという。

(大久保)「何か、毎日店を開けて私が立って、しっかり営業しなきゃ! という頭があったんですよね。それがコロナでお客さんが来なくなり、でもオンラインの売上は上がり、という状況で、そこまでしゃかりきになって店を開けなくてもいいじゃない、オンラインも一緒にやればいいじゃない、と思えて気が楽になったんです」。

逆境を乗り越えただけでなく好機に変え、以前より良いペースで営業できるようになった。そんな今の吾輩堂を、大久保さんはどう思っているのだろう。そしてこれからは?

(大久保)「やりたいことを集めてできた、集大成の店だと思っています。完成度は70%というところでしょうか。お得意さんができ、“このお店にぜひ”と古本を持ち込んでくれる方も増えました。出版社からも猫の本を出すときは案内が来るようになりましたし、猫本屋として認知されたんだなと感じます。何より、猫と本が好きなお客様が来て喜んでくださる、そしてその様子をダイレクトに感じられるのは、店をやっている私にとっても最大の喜びです。でも、やりたいことはまだたくさんあるんですよ。まず、もっと本を増やしたい。コロナ以降、海外買付も行けていないので、大好きなプラハや、パリにロンドンなど、また行きたいです。それから作家さんの個展も引き続きやっていきたいし、吾輩堂の本もまた出したいですね」。

今もほぼ一人でオンラインと実店舗を切り盛りし、毎月のように個展を開催するなど、多忙を極める大久保さん。時間的にも体力的にも厳しい日々だが、やりたいことを前にその歩が止まることはない。

猫のような主人がいる、猫の集会場のような場所。大久保さん曰く、猫と本を愛する人々が「猫ミュニケーション」できる場所。
それが、書肆吾輩堂である。

 

 

 


 
 
  
 ■■データ■■

『書肆 吾輩堂』
福岡市中央区六本松1-3-13 →MAP
TEL:092-791-1880
ショップ情報 →
公式サイト →
 

■■プロフィール■■

●大久保 京
猫、マンガ、テレビ禁止の家庭で育ち、唯一制限なく与えられた本に囲まれ読書好きに。大学では西洋美術史を学び、旅行代理店、北九州市立美術館、アート系NPOを経て吾輩堂店主。
好きなもの:猫、本&マンガ、旅、お茶、食べること、飲むこと。 著書:『猫本屋はじめました』2014年・洋泉社刊




■取材・文/橋本文平(メイドイン編集舎)