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3/1(金)~3/7(木)
「中央区商店街物語」原画展
“イラストライター”和田康素子
デビュー40年目にして初の原画展
この絵、どこかで見たような…?
と思ったら、それもそのはず。
『福岡市政だより』中央区版に掲載されていた、
『中央区商店街物語』(平成30年4月~平成31年3月)からの1枚だ。
描いたのは、福岡のフリーライターの先駆け、
あらゆる地元メディアの創生期に携わってきた、
“イラストライター”の和田康素子さん。
どのくらい先駆けかというと、
1975年:RKBラジオカー『スナッピー』の初代キャスターであり、
1976年:≪シティ情報ふくおか≫の創刊からの参加メンバーであり、
1985年:Fコープ生協情報誌『apple family』初代副編集長であり…
そして、フリーランスという概念がまだあまりなかった1989年から、フリーライターとして独立。
…というくらい、
あらゆる時代の波に乗り、多彩な活躍をしてきた方なのだ。
和田さんに作画のきっかけを尋ねた際のお話しが、
これまた福岡のクリエイティブシーンや、働く女性の変遷記と重なり面白かったので、
以下、ほぼノーカットでご紹介します。
「幼い頃よりお絵描きが好きで
小学生の頃は中洲の毎日新聞絵画教室に通っていました。
高校は美術部で、デッサンは大抵いつも最高点。
2年の時の担任の勧めで美大を目指し、
受験用のデッサン教室2校に通いましたが、親の反対で美大を断念。
短大卒業時には、西島伊三雄先生の弟子を目指したのですが
“女子(おなご)はすぐ泣くけんいらん“と言われて断念。
≪シティ情報ふくおか≫創刊時、当時の緒方編集長に絵を見せたのですが
“お前は取材担当“と、これまたイラストレーターの道は閉ざされました。
その間もイラストを独学。
『東京デザイナー学院九州校』を卒業してはみたものの
やはりイラストレーターへの憧れは強く、
Fコープ生協のファミリー誌『apple family』の編集がてら、カットを担当。
フリーになってからも、ライターとしてのお仕事がメインでしたが、
“イラストを描きたい”と言って仕事先を回っていたのが功を奏しました。
JR九州『Please』の特集(大分県の石の文化)を、イラストと文で綴ったのを皮切りに、
様々な冊子でイラストを描けるようになりました。
そのほとんどは名前が表に出ない仕事で、
唯一記名できたのは、明太子の『やまや』の機関紙で2年続いた『博多絵説き図鑑』です。」
絵を描くのが、大・大・大好きだからイラストレーターになりたい。
けれどアナログの時代、プロとしての表現の場は限られ、
WEBサイトやSNS等、手軽な発信ツールもなかった。
そんな中、諦めず、根気強く燃やし続けてきたイラストへの情熱。
それが結実した満を持しての原画展が、この『中央区商店街物語』なのだ。
「苦節40年、ようやく自分の名前でイラストを描けるようになりました。
まさに“念ずれば通ず”です!
でも、いまだに“ライターの和田”の方が、福岡では通じるのは寂しかぎり…。
いや、でも取材時には必ず “スナッピー1期生の和田です“
“シティ情報ふくおかの創刊当時の一員です“と言うと、
スムーズに対応してもらえるので、それもいいかな。
イラストライターとしてはまだまだ“ひよっこ“です(笑)。」
原画展には『中央区商店街』の他に、
JR九州の旅情報誌(Please)で連載していた『九州の祭り紀行』も並ぶそう。
あなたの街の懐かしい風景にも、出会えるかもしれませんね。
■■ 「中央区商店街物語」原画展 ■■
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