column
July 29, 2024
シャッター音を傍らに
scene51 【7月】海べりの日々
福岡とくじゅう、時々その他…
街の中で自然にあこがれ、自然の中で街を想う
シャッター音が響くたびに、心が豊かになってゆく
そんな写真家が織り成すフォトエッセイ。
by kawakami shinya
【7月】海べりの日々
朝、津久見のホテルの窓を開けると、目の前にあるはずの海が真っ白になっていた。
かろうじて漁船の艦首が見えていたのでここは海だと認識できる。海霧だ。
はるか遠くまで真っ白の世界が続く風景は初めて見た。
そして日の出と共に霧が晴れてくると、目の前に巨大な工場地帯が姿を現した。
津久見ってこんな所だったのかと、
まるで映画のワンシーンのように繰り広げられる目の前の光景にくぎ付けになっていた。
海霧は夏の季語らしいので、この季節特有の現象ということだろうか。
海霧から始まった撮影の旅は、海べりの撮影か続く。
津久見に泊まったのは海霧撮影が目的ではなく、
ここから車で30分程の宮崎県との県境にある波当津海岸が目的地。
佐伯のリアス式海岸の撮影とどちらにしようか迷っていたけれど、
朝10時が干潮ということで波当津海岸へ。ここは干潮が大事なのだ。
9時すぎに到着すると、海開き前の海水浴場なので誰もいない。
ここは白砂と青松の美しい海岸として知られているけれど、
干潮の時に見られる波模様がとても特徴的な砂浜だ。
波打ち際に行ってみると、規則的な模様が弧を描くように続いている。
まるで小石原焼のよう。
早朝の海霧といいこの日は心揺さぶる風景によく出会える貴重な日。
失敗の日も多いけれど、たまにこんな日もやってくる。
「禍福はあざなえる縄の如し」
続いて天草の牛深へ。
書くと一行だけれどものすごく遠い。
ここには九州で屈指の透明度を誇るといわれる茂串海水浴場がある。
まだ撮影したことはなく、いつか行ってみたいとずっと思っていたのだ。
車をおいてサンダルに履き替え、しばらく砂浜を歩いてゆく。
すると何だかとてもまぶしい。
白い砂浜の先にエメラルドグリーンに輝く海が広がっているのだ。
ありふれた観光ポスターのような風景ではあるけれど、実際に身を置くと感動だ。
そしてなぜか外国人のグループがやってきたのでまるで南国のリゾートビーチのような雰囲気となっている。
えーとここはどこだったか、牛深だ。
僕は「あーきれいだ」という小学生のような感想しか頭に浮かばなかったけれど、
美しい風景を見た時は単純に「あーきれいだ」とつぶやくのが一番自然だと思う。
余計な言葉はいらない(単に語彙が少ないだけなのかも…)。
この砂浜を前に10回はつぶやいた。
そして牛深からフェリーに乗り、鹿児島の長島へと渡り、
つづいて長崎の海べりの撮影を続けながら福岡へと帰っていった。
自然相手の撮影は撮れる日、撮れない日はどちらも次々とやってくる。
「禍福はあざなえる縄の如し」
今月は海霧から始まり、「わーきれいだ」と何度もつぶやきながらのいい撮影が続いた。
なので来月はどうなることやらと今から心配している。
猛暑が続いているしなあ。
●写真・文/川上信也
■■プロフィール■■
●川上信也/フォトグラファー。1971年愛媛県松山市生まれ。
福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。
その後福岡でプロ活動を開始し、様々な雑誌の撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かした人物、建築、料理など、様々な撮影を行なっている。
ライフワークとして九州の自然風景、身近な人々のポートレートを撮り続けており、定期的に写真集を出版、写真展やトークショーを開催している。
◎webサイト:『川上信也 Photographer』⇒ https://shinya27.wixsite.com/kawakami
■前シリーズ『くじゅうの麓、白丹のルスカ』(2018年5月~2019年4月)はコチラから →☆