MADEin2013autumn

MADEin2013autumn page 33/54

電子ブックを開く

このページは MADEin2013autumn の電子ブックに掲載されている33ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
の故郷を訪ねて東日本大震災の爪あとが残る牡鹿半島の小さな漁村。ここで生まれたアクセサリーブランド〈OCICA〉は人々の“縁”によって、全国各地へと広がっている。福岡の地でも徐々に広がる〈OCICA〉の故郷を訪ね....

の故郷を訪ねて東日本大震災の爪あとが残る牡鹿半島の小さな漁村。ここで生まれたアクセサリーブランド〈OCICA〉は人々の“縁”によって、全国各地へと広がっている。福岡の地でも徐々に広がる〈OCICA〉の故郷を訪ねた。取材・文寺脇あゆ子・写真中西ゆき乃縮まるのである。の笑顔が浮かび、その距離は一気にに付ける瞬間、あの日のお母さん達ど、〈OCICA〉のネックレスを身福岡と東北の距離は遠い。けれ話を聞ける場となっている。笑顔にし、訪問者にとっても貴重なな何気ない会話が、お母さんたちをを剥いていたときにしていたようら、語らいの時間を持つ。牡蠣の殻土産とともに、お茶をいただきなが漬物やゆで卵、訪問者が持参したお時間だ。お母さんたちが持ち寄るおく。作業が終わったら〝お茶っこ?のCA〉への愛情が自ずと深まってい自分でつくってみることで〈OCIネックレスをつくることができる。と、お母さんたちに教わりながら、事前に連絡をした後、訪問する高さに驚かされた。すよ」とお母さん。そのプロ意識の指摘してもらった方が助かるんでいます。どこが悪いのか、きちんともっと上手につくりたいと思ってださる方に喜んでもらいたいたし、と、「いやいや。私たちは、買ってくも。「厳しいですね」と語り掛けるか厳しく、商品として出せないことを受けていた。その検品は思いのほタッフの斉藤里菜さんに渡し、検品作業してきた商品を、友廣さんやス集会所では、お母さんたちが自宅で2013年4月9日。牧浜集落のてしまったのである。ミュニティ。その2つを同時に失っいう側面も持っていた。仕事とコとってコミュニケーションの場との殻剥きは、集落のお母さんたちに仕事を失ってしまった。一方、牡蠣たが、作業を行なう施設が損壊し、剥きなどをして養殖業を支えてい震災前、お母さんたちは牡蠣の殻廣裕一さんはいう。とをめざしています」と、代表の友続的な事業として成り立たせるこ短期的なボランティアではなく、継『つむぎや』「このプロジェクトは、ジェクトを手掛ける一般社団法人ているのは、牡鹿半島で2つのプロ〈OCICA〉をプロデュースし一つひとつ手づくりされている。に、集落のお母さんたちによって、品は、この界隈にある集会所を拠点サリーブランド〈OCICA〉の商角と、漁網の補修糸でつくるアクセま)集落。牡鹿半島に生息する鹿の島(宮城県石巻市)の牧浜(まきのは東日本大震災で被災した牡鹿半〈OCICA〉の制作現場、牧浜集会所は、集落の高台にあり、眼下には海が見える。一つひとつのパッケージには、どのお母さんが作ったかがわかる“屋号”の印が押されている。■OCICA http://www.ocica.jp/この集会所に集まるのは週に2回。ここでしかできない作業を行ない、残りは自宅に持ち帰る。このネックレスを付けてくれる人にきちんとしたものを届けたいと、検品にも余念がない。33 32